鶴と蛇と太極拳
起の章

  2  私の場合



 私の場合は、今から三十年ほど前、私がまだ、自分の道を見つけることができず「精神的な放浪者」であったころ、太極拳との出会いがありました。

当時私は国立に住んでいました。バイトで知り合ったFさんが、友人である太極拳の先生を紹介してくれたのです。その一年ほど前から、私は「瞑想」を実践するようになっていました。

「へー「瞑想」・・・君って変わっているね、君に紹介したい人がいるよ。君なら話が合うかもしれない。彼は太極拳って言う変なことをやっているんだよ。どう?会ってみない」

当時は、私には時間がたっぷりあったので、その人を紹介してもらうことにしました。

私の最初に出会った太極拳の老師(先生)は私(当時二十七歳)よりも三つ年上の、小柄で坊主頭で、ガッチリした体形をしているNさんでした。一見して、喧嘩の強そうな顔つきをしていました。学生時代から空手を修行してきた人でした。

私としては、生まれてから一度も見たことのない太極拳というものを、その時、H大学のキャンパス内の空き地で見ることになりました。

Nさんが動き始めると、夕方のキャンパスの片隅の空間が突然、異次元空間に変わりました。中腰の姿勢で、ゆっくりと動いて行く姿は、とても力強く、優雅で、一目で私は太極拳のとりこになり、Nさんに弟子入りを志願しました。そしてそれが私の「ライフワーク」になってしまったのです。

Nさんはその当時は太極拳の世界に入ってまだ数年しかったっていない、無名の先生でした。

今では日本の太極拳界で一目置かれる、大変なカンフーを持つN老師が、幸運にも私の最初の先生だったのです。さらに幸運なことに、簡化二十四式太極拳を一通りマスターするまでの間、週に二〜三回ほど、ずっと一対一で学ぶことができたことです。

「太極拳をマスターするのは簡単だよ、だいたい三ヶ月で形を覚えることができる。一回覚えたら、それからずうっと楽しめるよ。」N老師は最初のころに私にこう言いました。

確かに、その言葉通り、ちょうど三ヶ月で形をマスターすることはできましたが、しかし私はそれから約三十年間、つまり現在まで、ずっと太極拳を学び続けるはめになるのです。

といっても、私は太極拳の練習を「修行」と感じたことはありません。いつまでも飽きのこないおもちゃを与えられ、無心に遊んで気づいたら、三十年たっていたというようなものです。

まず、これから太極拳を学び始めたいあなたに忠告します。「太極拳は罠のようなものです。何げなく手を出したら最後、捕まってしまい、逃れられなくなりますよ」・・・と。

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