「気」とは

 古い教えによると、「気」は天にもあり、地にもあり、また、私たちの周りの森羅万象が、「気」によって作られているといいます。

 一般には、「気」という言葉は、心のはたらきをさすものであると理解されています。「気分が良い」とか「気にする」とか「気のせい」とか、「気」のつく言葉は日常の言葉の中に一杯見つけられます。

 しかし、物理的現象としての「気」もありますね。そうです、空気(大気)や、磁気、電気という気です。

 「雰囲気」という場合は、精神的な「気」でしょうか、物理的な「気」でしょうか?

 実は「気」は精神的現象でもあり、物理的エネルギーでもあります。「気」は心と体の共通のエネルギーなのです。

 私たちは「気」の海の中に生きています。

 「気」は生命力です。私たちは絶えずその「気」を呼吸して生きています。

 あなたはそうした「気」の重要さに気づいているでしょうか。

 魚は水の中に住んでいて、水に守られ、水の恩恵を受けて生きていますが、その水の存在に気づいてはいないでしょう?きっとそんな考えなどなく、ただ、泳ぎ回っているに違いありません。

 しかし、そんな魚を笑うことはできません。私たちも「気」の海の中で「気」の恩恵を受けて生きているのに、普段の生活でそれを感じることはなく、関心を持つこともないからです。

 私達がなぜ「気」に対して無関心かというと、まず見えないからです。目で捉えることができないので、周囲の空間を埋め尽くして存在する「気」に気づかないのです。

 「気」は誰でも感じているのですが。あまりにも当たり前になっていて気に留めないのです(シェイクダンスを数分間行い、両手で感じるビリビリした電気のような感覚、これがとても大切です。「気]の感覚というと、何か特殊な、特別なものを想像しがちですが、実はいたって当たり前の感覚なのです)。

 なぜ「気」に無関心かというと、「気」はどこにでもあるからです。「気」はいたるところにあります。どこにでもあるものに対して、私達は価値感が持てず、それを得ようとは思いません。

 ダイヤモンドなら誰でも手に入れたいでしょう。でも石っころは、どこにでもころがっていますから、特にほしいとは思いません。「気」は石っころよりもどこにでもあるものなのです。

 「気」は「フリーエネルギー」とも呼ばれます。フリーエネルギーは物質の最小単位の微粒子を意味します。つまり、科学者が追求する、素粒子のことです。フリーという意味は、この空間を自由に動き回り、何の制約も受けないエネルギーであるということ。誰のものでもなく、無料であるということです。また無限の利用価値があるということをも意味しています。

 現代はエネルギー危機の時代といわれます。石油やガスや電気のエネルギーの供給が需要に追いつかないのです。原子力発電はあまりにも危険要素が大きくその解決にはなりません。

 もしも大気中の、フリーエネルギーであるこの「気」が実用化されるようになれば、エネルギー危機は一挙に解消されるでしょう。

 私たちとしては、そんな時代になるよりも前に、まず、個人的に、「気」を利用する方法を学び、大いに心身の活性化のために利用しようではありませんか。

 
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